四間道
平成建設の事務所の近所 西区の那古野町に四間道(しけみち)と
呼ばれる場所があります
昔名古屋の城下町が作られたとき堀川には水運を利用する商家が
立ち並びました
商家の玄関は物資の流通を行うため堀川に向かい 土蔵が家の裏手に
作られたのですが 1700年の元禄の大火の時 尾張藩4代藩主の
徳川吉通が防火方法を研究して 堀川沿いにある商家の裏道幅を
四間(約7メートル)にしたので その堀川に沿って土蔵が立ち並ぶ
ところが四間道と呼ばれるようになったのです
その四間道の近所で現場調査があったのでついでに四間道を歩いて
みました
この時代になっても まだ確かに名残がいろいろ残っているのに
驚きました
この付近で住宅を建てる時 名古屋市条例で外観に制約があります
住宅の屋根の上に小さな社が造ってあるところがあって その説明の
看板がつけてありました
名古屋独自のもので 庶民が火災や疫病から守るために創られた
そうです
四間道は大学の建築の歴史の所で少し出てきた記憶がありますが
こんなに近くに住んでいて 初めて歩いて歴史に触れました