つっくんのどうでもいいお話37
【明治村】その弐
1月もあっという間に過ぎ、もう豆まきの時期になりました。異常なまでの長く居座る寒波に見舞われ、雪の影響で外回りの工事が予定通り進まずアタフタしながら毎日過ごしております(^_^;)
さて今月は「明治村」のお話2回目です。1965年にオープンした博物館明治村の開村のきっかけを施設のホームページで以下のように紹介されています。『明治時代は、我が国が門戸を世界に開いて欧米の文物と制度を取り入れそれをどうかして近代日本の基盤を気付いた時代で、飛鳥・奈良と並んで我が国の文化史上きわめて重要な位置を占めている。明治建築もしたがって江戸時代から継承した優れた木造建築の伝統と蓄積の上に新たに欧米の様式・技術・材料を取り入れ、石造・煉瓦造の洋風建築を導入し産業革命の進行に伴って鉄・セメント・ガラスを用いる近代建築の素地を築いた。これらの建築のうち、芸術上、歴史上の価値あるものも震災・戦災などで多く失われ、ことに戦後の産業の高度成長によって生じた大小の公私開発事業により、少なからず姿を消していった。取り壊されてゆくこれらの文化財を惜しんで、その保存を計るため今は二人とも故人となられたが旧制第四高等学校同窓生であった谷口吉郎博士(博物館明治村初代館長)と土川元夫氏(元名古屋鉄道株式会社会長)とが共に語り合い、二人の協力のもとに明治村が創設されたのである。』注:旧制第四高等学校=現在の金沢大学
谷口吉郎博士は、明治生まれで昭和の前期に活躍した建築家でウィキペディアでは、『明治建築の代表作である鹿鳴館が取り壊される様子を山手線の車内から見て残念に思ったことが、後年「博物館明治村」の構想につながったという』とも紹介されています。